Vol.66 2014 AUTUMN

中山館長のSketch diary(スケッチダイアリー)

「芸術は分からない」の正体
2nd Sketch

 美術と音楽に代表される芸術の世界。いったん深入りすればめくるめく世界が待っている。しかし一方で、「抽象画は何が描いてあるのか分からない」とか、「クラシックの良さが分からない」、「難しい」という話もよく聞く。ということは、「分からない」とか「難しい」と言っている人には、この「めくるめく」感動を経験し損なっているということになる。

 クラシック音楽は、知らないうちに人の心を豊かにする効果があるという証拠がある。家庭には必ずあるテしビで、クラシック曲がたくさん放送されているのをご存じの方もおられると思う。とくにコマーシャルでは、現時点で40〜50曲、たぶん過去までさかのぼると、200曲を超えるクラシックのメロディーが流されてきたと思われる。コマーシャルは商品を売るための手段だ。視聴者に心地いい気持ちになってもらうためにクラシック音楽を流すのだから、人間の脳はちゃんとクラシック音楽を受け入れていることにほかならない。

 この本質的な脳の作用を邪魔しているのが、「分かる、分からない」という判断を司る左脳の邪魔立てだ。芸術には絵や音楽のほかにも様々なジャンルがある。舞台でいえばバレエやモダンダンス、伝統芸能である日本舞踊や歌舞伎といったものももちろん芸術の範疇である。ダンスでいえば、若者たちを熱中させるヒップホップや、音楽でもロック、ジャズのようなジャンルは、誰も「分かる、分からない」ということを考えることもなく熱中するだろうし、反対に嫌いな人は「分からない」とはいわず、「やかましい」とか、「なんであんなものがいいんだ」と、はっきり好き嫌いを言うだろう。これらのジャンルは表だって「芸術」という言い方はそぐわないかもしれないが、前衛という前提はつくにしても、立派な芸術であることは間違いない。ただ、クラシック音楽と違うのは、強いリズムや音響が人間の根源的なエネルギーを湧き上がらせる形而下的力があることは確かだ。

イタリア・フィレンツェにて(1993.5)

 もしかすると、「分からない」という表現は、学校の鑑賞授業で意味を問うようなことがあって、分からないと聴いたことにならない、といった先入観があるのかもしれない。しかし、そんなことをいっても仕方がない。

 音楽の演奏会を開催する場合、何らかの方法で「なぜいいのか」をできるだけやさしい言葉で、直接皆さんに「分かる」ように伝える作業を続けるほかはなさそうだ。冗談ではなく、コマーシャルで一部だけしか流れていない曲をコンサートで全曲演奏するような演奏会も役だつかも知れない。プログラムに曲名とどのコマーシャルかを書いておくだけでいい。

 そんなことを考えていくと、欧米の美術館で子どもたちが楽しそうに絵の前に座り込んでいる風景が浮かんでくる。理解するために行くのではなく、楽しみに行くということが、その後の人生でどれだけ人々の情操を豊かにするのかが分かってくる。結論を言えば、「分からない」ではなくて、「何が感じ取れるのか」という自分自身の気持ちそのものを大切にしてもらえればいいということだろう。

iichiko 総合文化センター館長
中山 欽吾

Kingo Nakayama/大分上野丘高校から九州大学卒業後、三井金属鉱業(株)に入社。三井金属(米国)(株)社長を経て、バリトン歌手で養父でもある中山悌一氏の強い要請で、「二期会」に転身。(公財)東京二期会常務理事、大分県立芸術文化短期大学理事長兼学長、(公財)大分県芸術文化スポーツ振興財団理事。平成25年4月から現職。大分市出身。

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