Vol.54 2011 AUTUMN

熟成の美酒のように——テミルカーノフ指揮のサンクトペテルブルグ・フィル

サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団が、レニングラード・フィルハーモニーという名称だったソ連時代――この世界屈指の名門オーケストラの首席指揮者として君臨していたのは、エフゲニー・ムラヴィンスキーだった。今では伝説的な存在となっている、20世紀最高の指揮者の一人である。
 そのムラヴィンスキーが指揮するレニングラード・フィルの演奏会に、ある日、同地に移住して来たばかりの一人の少年が母親に連れられてやって来た。13歳の時だったというから、1951年頃だろう。少年の名は、ユーリー・テミルカーノフといった。
 「それはもう、素晴らしい体験でした」と、彼は当時を回想して微笑む。よくあるサクセス・ストーリーなら、少年がここで「お母さん、僕はいつかきっとこのオーケストラの指揮者になってみせるよ」と、胸を張って宣言する――というシーンが出現するところだろう。だがユーリー少年は、どうやら冷静だったらしい。「いや、いくら自信家の僕でも、さすがにそこまでは考えなかったですね」と苦笑しながら言う。「そのオーケストラを指揮してみたいな、と最初に思ったのは、僕が全ソ指揮者コンクールに優勝して、レニングラードのもう一つのフィルハーモニー管弦楽団(現在は外国向けとしてサンクトペテルブルグ交響楽団という名称が使われる)の首席指揮者になってからのこと(1968〜77年)なのです」。

 テミルカーノフはこの時代に、ムラヴィンスキーが指揮者を務めるフィルハーモニーとの給料格差是正をめぐって上層部と闘い、時にはムラヴィンスキーと衝突しながらも楽員の待遇改善に取り組んで、ついにこれを達成させた。ちなみに彼は、その何十年かのちにもプーチン大統領に直談判して、サンクトペテルブルグのオーケストラや歌劇場を含むロシアの主要音楽団体への補助金を増やすようにさせ、男を上げることにもなる。義憤に駆られると黙ってはいられない、というタイプの人のようだ。
 ともあれ1988年、大ムラヴィンスキーが他界すると、テミルカーノフは同楽団の楽員たちの投票により、後任の芸術監督兼首席指揮者として選任されるにいたる。彼はその頃、既にキーロフ劇場(現マリインスキー劇場)芸術監督に転進していたが、フィルハーモニーの要請を受けるとただちにキーロフ劇場を後輩のワレリー・ゲルギエフに任せ、名門レニングラード・フィルのポストに就くことになったのだった。時に50歳。
 並外れて偉大な前任指揮者のあとを受けたわけだから、テミルカーノフも、初めのうちは随分やりにくかったことだろう。投票で選んだとはいえ、楽員側にもいろいろあったに違いない。指揮者とオーケストラの関係は一筋縄では行かぬもの――とは昔からよく言われることだが、ましてそれがロシア最高の名門オケであってみれば、あれこれあるのも当然である。あまり大っぴらに語れる話ではないが、その葛藤がついに火を噴いた瞬間を、筆者も現場で目撃したことがある。だがもちろん、彼らも優れたプロの音楽家同士、そんな確執をいつまでも引きずるはずはない。次に来日した際のショスタコーヴィチの《第7交響曲》では、およそこれほど雄渾壮麗な音楽をつくる指揮者とオケがあろうかと思われるほどの豪演を、わが国のファンに披露したのであった。

 当時のテミルカーノフの指揮は、今よりも濃厚な色彩感と粘り気にあふれていて、テンポの動かし方も激しく、いかにも鼻っ柱の強い音楽づくりという雰囲気だった。が、今や彼も円熟の時期に入り、指揮のスタイルも強引でなく、伸びやかな自然体でオーケストラを壮麗に響かせるというタイプに変わった。一方オーケストラの楽員にも世代交代があり、今日ではまさしく、このサンクトペテルブルグ・フィルは、テミルカーノフの楽器そのものとなっている。彼が軽く手を挙げて指示を送るだけで、オーケストラは以心伝心、完璧に反応し、変幻自在、豊麗壮大な演奏を繰り広げるのである。
 さて、この名指揮者に率いられたロシア随一の強豪オーケストラが今回大分で聴かせるのは、2つのロシアの名曲、チャイコフスキーの《第4交響曲》と、ラフマニノフの《第2交響曲》だ。
 前者は、運命との激烈な争闘(第1楽章)と明るい歓喜(第4楽章)との間に、いかにもチャイコフスキーらしい憂愁を含んだ2つの楽章が挟まる。全弦楽器がピッツィカート(弦を指ではじく奏法)を続ける第3楽章など、夢幻的な雰囲気充分だ。一方後者は、ラフマニノフ特有の甘美な哀愁が全篇に満載された大曲で、特に第3楽章は全曲の頂点をなす陶酔的な叙情美の極致である。いずれも重量級の大作だが、とりわけ目立つのは、この2人の作曲家の「持って行き方の巧さ」だ。終結の頂点に向かって追い込み、盛り上げ、最後を豪壮に決めて聴衆をワッと沸かせる、その手法がもう実に鮮やかなのである。

文・東条碩夫(音楽評論家)

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