Vol.42 2008 AUTUMN



瞬きする間のないボリショイの〈白鳥〉
古典バレエの代名詞として上演され続けている『白鳥の湖』。その初演は1895年、サンクト・ペテルブルクで行われた。湖のさざなみや、湖面を照らす朝の光までもが目に浮かぶような音楽を作曲したのはチャイコフスキー。その音楽と見事に一体化した振付を生み出したのは、バレエの父マリウス・プティパと、その弟子レフ・イワーノフだった。彼らの生み出した振付は100年以上のときを経た今も輝き続けている。
とはいえ、ほかの古典バレエがそうであるように、再演を重ねるうちに『白鳥の湖』は少しずつ時代の求めに応じた新しい化粧を施されている。そうした改訂の中でも、長きに渡って上演され続けている演出の一つがボリショイ・バレエ団のグリゴローヴィッチ版だ。
1964年にボリショイ劇場の主席バレエ・マスターになったグリゴローヴィッチは、19世紀作品の冗長な部分を取り除き、スピード感のある新しい感覚のバレエ作品へと改訂していく。『白鳥の湖』の改訂は1969年。伝統的なマイムのシーンを極力取り除き、演劇的なしぐさに頼らず、ダンスそのものの力で物語を語ろうというのが、彼の意図だ。
また、女性ダンサーの支え役に終始しがちな王子の存在にスポットをあて、従来の版よりもダンスの見せ場を増やしているのも、男性ダンサーの踊りを重視したグリゴローヴィッチらしい改訂と言える。悪魔の存在も大きくなった。魔性を表現するソロが何度も与えられ、第三の主役といえるほどだ。王子を操り、罠にはめるという悪魔の役割も明確で、王子の成長物語という流れがスムーズになっている。王子と悪魔が同じ振付をシンクロして踊るシーンは、ほかの演出にはない、この版ならではの見せ場なのでぜひ楽しみにしていてほしい。
さらに独自の演出は宮廷の舞踏会。ここでは各国の民族舞踊が踊られるのだが、その民族舞踊の中心で踊るのは、各国の姫君その人とされている。そのため、民族舞踊がディベルティスマン(物語の本筋には無関係に踊られるダンス)としてだけでなく、物語の中でも意味を持つものになっている。
そして悪魔の娘オディールには、黒鳥たちが従い、不穏な空気を醸し出す。ここでも悪魔のソロが踊られ、宮廷中が悪しき魔法にかけられていく様が描かれる。舞台全体が暗く沈んだ色調に染まったところで、「黒鳥のパ・ド・ドゥ」が始まると一気に光が差し込み、王子とオディールのダンスの華やかさが強調されるなど、明暗をうまく使った演出手法も効果的。オディールのヴァリエーションでも、他の版とは異なる音楽を使い、より魔性を際立たせるようなダンスが披露される点にも注目したい。


エンディングは?
悲劇か、ハッピーエンドか。
最終幕では、嵐の中で王子と悪魔の戦闘が繰り広げられるドラマティックな演出が施されており、最後まであきさせない。ちなみに『白鳥の湖』最終場面は、20世紀初頭以来大きく分けて二系統のエンディングが存在している。グリゴローヴィッチ版は、旧ソビエトの伝統に従い、王子が悪魔を倒して、白鳥に姿を変えられたオデット姫がもとの人間の姿に戻るハッピー・エンドをとってきたが、2001年の改定で悲劇的な結末へと変更されたという。どのようなエンディングへと向かうのかも今回の見所になるだろう。
ダンスの造形美を最大限に重んじながら、物語性も損なわないグリゴローヴィッチの演出は、バレエ初心者にはわかりやすく、またさまざまな演出を見てきた観客にも新しい視点を与えるものだろう。
なお、今回主演が予定されているのは、ルンキナとグダーノフのペア。繊細で非常に美しいダンサーであるルンキナは、近年より叙情的な表現に磨きがかかった注目の存在だ。オデットでは悲しい運命を背負った女性の悲哀を、オディールでは男性を罠にはめる危険な香りを、十二分に表現しつくしてくれるだろう。グダーノフは王子役を得意とする品のあるダンサーだ。ボリショイ・バレエのスターたちが踊り継いできた傑作に、彼らのダンスはどんなエッセンスを加えるのか、上演が待ち遠しい。

![]() |
|