Vol.42 2008 AUTUMN


<カルメン>初演は歴史的な大失敗
いまでは《椿姫》や《蝶々夫人》などと並んで世界中の歌劇場で、最も上演回数の多い大人気曲「カルメン」だが、1875年にパリのオペラ・コミック座で初演されたときは惨憺たる失敗に終わってしまった。
オペラ・コミック座は当時、市民階級の社交の場になっており、そこで上演されるオペラはたいていハッピーエンドで終わるあたりさわりのないものが中心だった。しかしこの《カルメン》は、密輸団やジプシー女が登場して、最後は殺人で終わるというドラマチックな物語。この内容を聞いた劇場側は、オペラ・コミック座には相応しくないとして上演に難色を示した。またカルメン役に予定されていた歌手まで出演を拒否するというトラブルもあり、上演までには紆余曲折があった。
しかしそうしたスキャンダルが逆に世間の人々の関心を買い、1875年3月3日の初演は異常な熱気に包まれた。会場には当時の楽壇の大御所たち、グノー、トーマ、マスネー、オッフェンバック、ドリーヴ、ダンディなど錚々たる作曲家たちが列席し、幕が開いた。
第1幕はかなり好評で、ビゼーは幕間には人々の祝福を受けた。しかし第2幕では拍手が少なくなり、第3幕になると重苦しい雰囲気になり、第4幕が終わったあとでは客席には冷たい空気が流れ、お座なりの拍手で幕が閉じられてしまった。落胆したビゼーは一晩中、パリの街を彷徨い歩いたといわれる。

いったいなぜ、こうも不評だったのか。当時の聴衆は、ならず者が登場し暴力や殺人シーンのある舞台にもショックを受けたが、もっと驚いたのはビゼーの音楽だった。当時のフランス音楽の様式からは大きく離れ、生き生きしたリズムで起伏に富み、人間の感情を直接的に表現したビゼーの音楽は、まさに革新的だったのだ。《カルメン》の音楽はのちに流行するヴェリズモ(現実主義、自然主義)様式の先駆けになったといわれる。 しかし初演は不評だったものの、しだいに評判が高まり、それから3カ月の間に33回も上演された。しかしビゼーは初演からわずか3カ月後に、川で泳いで高熱を出したことなどが原因で、あっけなく世を去ってしまった。わずか36歳という短い生涯だった。


理想の女性像?カルメン
メゾ・ソプラノなら誰もが、一度はカルメンを演じてみたい、という。それだけ《カルメン》というオペラには歌い手のファンタジーを刺激する魅力的な要素が潜んでいるのだ。
原作者のプロスペル・メリメが描くカルメンは、漆黒の髪に白いジャスミンの花束を刺し、赤いモロッコ皮の靴に白い絹の靴下をはき、口にジャスミンの枝をくわえて登場する。肝が座っていて大胆で、ちょっと小悪魔のような魅力的な女性。オペラの舞台に登場するカルメンは、たいてい赤いバラなどの花を口にくわえていて、妖しく艶っぽい(台本では、花は黄色いカッシア=金合歓だが)。

近年になって、カルメン像は大きく変貌している。男を惑わす小悪魔のような妖艶なファムファタール(宿命の女)から、自立して自由に生きる魅力的な女性という捉え方が多くなっている。小心でマザコンぎみの純情男ドン・ホセは、自分とは全く違う奔放で大胆なカルメンの魅力の虜になり、転落の人生に足を踏み入れる。家庭的で理想的な妻になるだろうミカエラをあっさりと棄てて。
初演から130年以上を経たいまも、なおも人々を魅了するカルメンは、おそらく男性にとっても女性にとっても「理想の女性」かもしれない。男たちにとっては、ミカエラが護る家庭に安住しながらも、ときに妖艶なカルメンに惹かれるホセの心情に感情移入できる。女性にとっても、本能のままに自分らしく生きるカルメンにあこがれる。
ラストシーンで、カルメンはホセに迫られたときに啖呵を切る。「カルメンは人のいうことなんか、きかない。自由に生まれて、自由に死ぬのよ!」。このかっこいい台詞をもとに、多くの演出家たちが、あるいは多くのカルメン歌手たちが、独自のカルメン像を創りあげた。今回のローザンヌ歌劇場の舞台には、どんなカルメンが登場するのだろう?


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