Vol.38 2007 AUTUMN

特集 演劇

トム・プロジェクト プロデュース「僕と彼と娘のいる場所」いま、演劇シーンがとてもおもしろい。舞台俳優は劇場を飛び出してテレビや映画に引っ張りだこ、逆に劇場には、映画はもちろん歌舞伎、狂言の世界からも垣根を越えて役者が立つ時代。まもなく幕が開く「トム・プロジェクト」の公演を前に、今回は、楽しく演劇史をめぐります!

1903年に上演されたシェークスピアの翻案劇「オセロ」。左から2番目は日本初の女優、川上貞奴
(早稲田大学演劇博物館所蔵)

演劇と言えば…「新劇、アングラ、小劇場など」

 一口に演劇といっても、さまざま。が、その中でもっとも身近なのは、新劇や小劇場。つまりは現代劇。描かれるのは私たちの日常生活。そこには、私たちの夢や葛藤、喜びや悲しみがぎっしり詰まっている。その現代劇のルーツとは。

文/演劇評論家 村井 健

日本の現代劇は
壮士芝居から始まった

川上音二郎(右)と貞奴(中央)。左の人物は不明(文化のみち二葉館所蔵)

 幕末・明治の初期まで、唯一の現代劇は「歌舞伎」だった。その歌舞伎に対抗する「新しい演劇」が生まれるきっかけとなったのは、自由民権思想家・中江兆民のアイデアだ。思想弾圧のため思うように政談演説会を開くことができない自由民権論者たち。ならば、演劇をその手段として使えばいいじゃないか、というので生まれたのが、1888(明治21)年の角藤定憲の壮士芝居だった。ただし、これはあくまで政治宣伝劇。それを演劇的に発展させたのが福岡出身の川上音二郎だ。
 一座を率いて1891年に上京した川上は、ルポルタージュ演劇ともいうべき「板垣君遭難実記」や日清戦争に取材した「壮絶快絶日清戦争」を上演、たちまち大人気を得る。口語体のせりふ、激しいアクション、工夫された舞台効果が歌舞伎では味わえないリアリティーを発揮したからだ。さらに川上は、1899年と1901年の2回、欧米巡業を行い、この時の経験を生かし、帰国後、「正劇」(ドラマ)運動を開始する。それが1903年に上演されたシェークスピアの翻案劇「オセロ」だ。当時、女優はなく女性の役は女方が演じるのが通例だったが、川上は妻の貞奴を口説き、デズネモーナとした。これがわが国「近代女優」の始まり。坪内逍遥が、文芸協会を組織するのは「オセロ」観劇の3年後だ。文芸協会からは島村抱月・松井須磨子・沢田正二郎らが巣立ち、1913(大正2)年に芸術座を結成。14年に上演した翻案劇「復活」は、挿入歌「カチューシャの唄」ともあいまって空前の大ヒットとなる。

翻案劇から翻訳劇へ、
戦後演劇から小劇場へ

坪内逍遥(国立国会図書館所蔵)

 一方、1908(明治41)年には、二世市川左団次と小山内薫が自由劇場を設立、イプセンやゴーゴリの作品を上演、本格的な翻訳劇を試み、やがてこの流れは、1924(大正13)年に小山内薫・土方与志によって結成された「築地小劇場」へと引き継がれる。しかし、築地小劇場が存続したのはわずか5年。小山内の死とともに分裂してしまうが、その間に築地小劇場は117本にも上る内外の戯曲を上演、多くの優れた俳優を輩出した。
 戦後活躍する主な劇団の創立者のほとんどは築地出身者だった。文学座の田村秋子・杉村春子、俳優座の千田是也・東山千栄子、民藝の滝沢修など。が、戦後しばらくして明らかになるのがこれら新劇団の保守性と作家中心主義。これに反抗して俳優の「肉体の復権」を掲げたのが、1960年代後半に登場する状況劇場・唐十郎、早稲田小劇場・鈴木忠志、自由劇場・佐藤信、天井桟敷・寺山修司、転形劇場・太田省吾など小劇場第一世代だ。彼らは、野外、テント、教会、地下室、喫茶店の二階などあらゆる場所を劇場に、実験的な演劇を上演し続けた。時あたかも70年安保&ベトナム反戦&学費闘争のさなか。時代は政治と絡み合い、演劇が熱気を帯びた時代だった。

演劇と言えば…「演出と戯曲」

 現代演劇をリードする劇作家・演出家が勢揃いするのが1980年代。高度経済成長の波にのり、アングラ、小劇場と呼ばれサブカルチャー視されていた小劇場はついに文化の第一線へと躍り出る。

「演劇」という文化の確立

オンシアター自由劇場「上海バンスキング」(1979)(ポスターハリス・カンパニー)

東京キッドブラザーズ「SHIRO」(1981)(ポスターハリス・カンパニー)

 その序章が、1979(昭和54)年から81年にかけての動向だろう。小劇場出身の蜷川幸雄が帝劇で秋元松代作の「近松心中物語」を演出(79年)、オンシアター自由劇場が「上海バンスキング」で紀伊国屋演劇賞を受賞(79年)、鈴木忠志が独自の身体論を使い帝劇でミュージカル「スウィーニー・トッド」(主演・松本幸四郎)を演出(81年)、東京キッドブラザースがニューヨークで「SHIRO」を上演(81年)、転形劇場が太田省吾の「小町風伝」をロンドンで上演(81年)するなど、商業演劇と小劇場、新劇の垣根が取り払われ、国際化の予兆も出始めたのがこの時期だ。つかこうへい、岡部耕大、山崎哲、流山児祥、北村想、鴻上尚史、野田秀樹、如月小春、永井愛の二兎社などが次々に登場するのもこのころ。83年には新宿駅西口で劇団四季の「キャッツ」ロングランが始まる。

色濃くなる、
エンターテインメント性

2005年、トム・プロジェクトにより上演された「カラフト伯父さん」の一場面

 1990年代以降、興行形態で特徴的なのはプロデュース公演が俄然、増えてきたこと。単独の劇団ではできない配役、演出家や作家の起用が楽しめるのが最大の魅力。木山事務所、こまつ座、トム・プロジェクト、ホリプロ、シス・カンパニー、さらにはパルコ劇場、ひょうご舞台芸術、シアターコクーン、世田谷パブリックシアター、新国立劇場のように、企画・作品本位でスタッフ・キャストを考えたほうが経済的。企画によっては複数のスポンサーを募ることも可能だ。近年、増えているのはこの方式。複数の主催者が加わることでリスクを分散することができるばかりか、観客のニーズへの対応もしやすい。いずれ、劇団制ではなくプロデュース制が演劇製作の本流となっていくだろう。
  一方、作品の内容にも変化が出てきた。かつての過剰なメッセージや実験性は影を潜め、エンターテインメントでありながら社会的なメッセージをしっかりと埋め込んだ作品が主流を占めるようになってきた。永井愛の作品はその代表。常に社会と個人、世界と自分とが向き合う形になっている。マキノノゾミ、平田オリザ、坂手洋二、鄭義信、蓬莱竜太もそう。意外なのは最近の野田秀樹が誰よりもメッセージ性の強いストレートな舞台を作り始めていることだ。もちろん、このカテゴリーに当てはまらない作家・演出家もいる。たとえば、三浦大輔。徹頭徹尾セックスにこだわり、性と男女の関係を描くことで日本の縮図を浮かび上がらせる手法は剛直といっていいほどだ。このほか、岡田利規、本谷有希子など新たな才能が次々に登場、現代演劇はますます刺激的な展開を見せている。

 1 | 2 | 3  

このページのTOPへ戻る