Vol.37 2007 SUMMER

OITA no MIRAI 大分新進芸術家紹介

画家
寺山 香
Terayama Kaori

生粋の画家が
故郷で拓いた新境地

 アクリル絵の具がところどころ薄く染みている年季の入った畳、静かに流れる音楽、神秘的な印象を与えるお香の余韻。寺山香さんのアトリエは、〈画家〉に似つかわしいもので溢れている。ただ、アトリエと言っても別府に昔からある彼女の実家の小さな部屋にすぎず、彼女はまた華々しい経歴を持つわけではない。だが彼女には、その絵を見るものをはっとさせる、特異な感性が宿っている。
  父親が油絵を、おじさんが日本画を嗜んでいたことから、ごく自然に描くことが好きになったという寺山さんは、東京の女子美術大学短期大学部でグラフィックデザインを学んだ。その後は、お金のために描くのではなく、描くためにお金を稼ぐのでもなく、ただ描きたい絵を描くために月日を費やしてきた生粋の画家だ。
  最初に没頭したのはペン画。細い繊細な線で、東洋の秘境を思わせるようなモノクロの世界を描いていた。ペンのおもしろさは消したりやり直したりがきかない部分にあって、夢中になりすぎるあまり、当時はじっと家にこもる日も多かったらしい。そんな寺山さんが、大きなチャンスを掴む。作品がある人の目にとまり、インドネシアの煙草「ガラム」の広告に起用されたのである。これを機に、世に認められる可能性も膨らんだ。ところが、彼女は都会を去り、故郷の別府に戻る。
  「帰郷は複合的なことからの行動で、別府に呼ばれていた気がするんです。たとえば祖母の介護がひとつの理由でしたが、それまで、まったく人のことなんて考えていなかった私が、介護をする立場になって〈気づくこと〉の貴重さを悟り、それが作品に生きてきた」
  例えば階段を一歩一歩のぼる祖母を見て、〈もう一歩踏み出すこと〉が、絵を描くうえでも必要なのではないかと気づいたり。すると、東京時代はこもりがちだった彼女に、地域や他のアーティストとの繋がりができ始めたのである。例えば2004年には、自宅の近くにある保育園の給食室に壁画を制作。そして2005年、再開発が進む西大分港で行われたイベント「sofa」では、崩される前のアスファルト、50m×50m×70mの平面に巨大な渦巻き模様の絵を出現させ注目を浴びたのだった。
  この頃は「絵はひとりで描くものなのに、作品を通じてまわりとの接点ができるのがおもしろい」と言う。そんな彼女の未来は? ひとまず秋に、湯布院で個展を開催する予定。そして、まだ時期も手段も未定だが、「もういちど東京でもがんばってみたい」とも語ってくれた。
  「渦巻きに魅かれるんですよね。パワーが感じられて……」という彼女の絵には確かに、くるりと滑らかな渦巻きや、螺旋状の模様がよく現れる。個展を控えた彼女のアトリエには制作中の絵が並んでいるが、そこにも外へ向かった勢いのあるモチーフが目立つ。それはまるで、いまの寺山さん自身の姿のようにも見える。

てらやま・かおり 1969年、別府市生まれ。90年、女子美術短大グラフィックデザイン専攻科卒業。池袋りゅう画廊新人版画作家展入選。2002年から大分の作家によるグループ展「零のゼロ」に参加。03年、オアシスアーティストプロデュースに出展。現在、別府市を中心にグループ展、個展を開催するなどして活躍中。

「宝物に近いもの」という本が3冊。『岡本太郎の沖縄』は沖縄の文化に興味があり選んだ写真集。「ダヴィンチよりすごい」と尊敬する北斎の『富獄百景』は眺めたり模写したりする。水俣病のドキュメンタリー『苦海浄土』には、大地のエネルギーや人間の魂に触れ「涙がとまらなかった」

帰郷後はペン画からアクリルに転向。その利点は速乾性と水溶性。ただ、「プラスチックのような妙な質感で、実は私には向いていない気がする!」……らしい。保湿性を高めるためパレットにはラップを巻いている。次は、「素材が息をしている感じがする」顔料も勉強したいと積極的だ


寺山香展、日程:2007年11月[予定]、場所:Gallery sow[由布市湯布院町]

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