Vol.35 2007 WINTER

特集 人形浄瑠璃 文楽 大分公演

文楽といえば・・・「近松門左衛門、竹本義太夫」

 別々だった人形と浄瑠璃節、三味線の結びつき。そして近松門左衛門と竹本義太夫が出会ったことで、文楽はひとつのジャンルとして確立されました。世界無形文化遺産として指定を受けるまでの歴史を、簡単ですがひもといてみます。

三業が集まった「操り浄瑠璃」

「心中天網島・北新地河庄の段」写真提供/(財)文楽協会

文楽のルーツは室町時代に発生した「平曲」(琵琶に合わせ平家物語を語る)とされています。曲目が増える中で人気を集めたのが、浄瑠璃姫と源義経の恋愛が題材の「浄瑠璃姫十二段草紙」であり、その節回しが「浄瑠璃節」と呼ばれるようになりました。  
  やがて琉球渡来の三線を改良した「三味線」が伴奏楽器となり、16世紀末には人形を箱で操る「人形回し」が結びついた「操り浄瑠璃」が生まれ、都市の常設小屋で演じられるようになりました。
  その中でも「義太夫節」という流派で人気を集めた竹本義太夫が1684年、大阪・道頓堀に「竹本座」を創設。他派の浄瑠璃が以降衰えたため、浄瑠璃=義太夫節を意味するようになりました。

義太夫と近松の運命的な出会い

「曽根崎心中・天満屋の段」写真提供/(財)文楽協会

義太夫は名作者・近松門左衛門を迎え、その作品をもっぱら上演します。公家や武家社会を題材にした「時代物」に対し、近松は市井の人々を主人公にして内面の情を描写した「世話物」を打ち出しました。その第一作が「曾根崎心中」(1703年初演)です。
  同じ年、義太夫の弟子であった豊竹若太夫が「豊竹座」を旗揚げします。人気を二分した両座の競争時期は「竹豊時代」と称される全盛期となりました。  
  一人遣いであった人形が三人遣いになったのは、1734年に竹本座で初演された「芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」から。また舞台も三人遣いの完成と共に、現在のような形式に固定したようです。  
  その後「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」の”三大時代物“が初演される絶頂期を経ますが、竹豊の2座が凋落すると、一時は衰えを見せました。

存亡の危機を超え世界遺産に認定

「冥土の飛脚・封印切の段」写真提供/(財)文楽協会

 19世紀末、大阪に植村文楽軒という人物が構えた小屋が明治時代に「文楽座」と名乗るようになり、後発のライバル・彦六座と人気を競うことで明治の黄金時代を築きました。その後文楽座が人形浄瑠璃界をリードしていったことで、「文楽」が人形浄瑠璃の代名詞となりました。  
  第二次大戦後文楽座はいったん二派に分裂し、興行不振もあって文楽は存続の危機を迎えます。両派は伝統を守り抜くために歩み寄り、1963年に財団法人文楽協会が設立されました。財団は国と大阪府、大阪市、NHKの助成金で保護育成されています。  
  太夫ひとりだけで情景や人物を語り、音曲は三味線のみ、一体の人形を3人が操るという表現形式は世界に類を見ないもの。その芸術性は世界で高く評価され、2003年には「世界無形文化遺産」の指定を受けるに至ったのです。

「菅原伝授手習鑑・寺小屋の段」 写真提供/(財)文楽協会

作品区分

時代物

 時代設定は江戸時代よりも過去で、貴族や武士の事件が題材。通常は五段で構成される。「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」は”三大時代物“と呼ばれ、上演回数も多い作品。

世話物

 江戸時代の町人を主人公に、人物の心理や置かれた状況を描写した作品。「曾根崎心中」は大阪・天神森で実際に起こった情死事件を脚色したもの。心中物が人気を博したため、1722年には心中物上演禁止令が出された。

景事(けいじ)物

 歌舞伎や狂言が原典となっている舞踊劇。ドラマ性よりも音曲的な面を重視し、人形の動きも舞踊的。例えば大分公演で上演される「釣女」の元は狂言の「釣針」。

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